「荒鷲」とは
「鷲」は本来本大学の校章で、我が大学では、この鳥が、目指すものに向かってまっしぐらに飛んでゆくその力強さを、学生が真理をめざしてまっしぐらに努力する姿の象徴としています。だから「鷲」とはさしずめ本大学の真剣な学生ということになります。
「荒」とは、この場合、荒々しいとか、粗野なとかの「荒」ではなくて、真理の探究に「ひたむきな」、「情熱を燃やしている」、「一途な」という精神的態度の意味なのです。
本学の応援団員は自らを「荒鷲」とよんでいます。純真真剣な彼らの自負と自任のほどを、この言葉からご理解してやって下さるならば幸この上ありません。
(第5回「荒鷲の集い」パンフレット 上智大学応援団初代顧問 神藤 克彦先生 挨拶文より抜粋)
上智大学応援団小史
〜1960年〜
入学早々、活気と一体感に乏しいキャンパスにやり場のない苛立ちを感じていた経済学部有志の間に應援團設立の声が挙がった。しかし、旧来の学生應援團像を想定して力による圧力を危惧した各団体上級生幹部の反対運動は凄まじく、一部理解ある教授や先輩のご支援を得ても幾多の壁を打破し前進することは容易ではなかった。それでも後退を考えるものは一人としておらず、体育会各試合への応援活動はもとより、文連各部への協賛活動、クラス訪問啓蒙活動そして昼休みにはメインストリートでデモンストレーション活動を続けるなど情宣活動を積極的に展開し、漸くこの年の秋昭和35年10月学生総務部の一機構として正式に存在を認められたのである。正に我が上智大學應援團誕生の時である。
(團報より抜粋)
結成当時の上智大学応援団(リーダー部)と初代大團旗
その後中央大学應援團よりリーダーの技術、並びに組織の充実に関して協力を頂く。
また61年に吹奏楽部、62年にバトントワイラー部(現チアリーディング部)が設立。応援が充実したものとなる。
62年には「荒鷲の集い」がソフィア祭の前夜祭として行われる。そして翌年には応援団による
演武「第1回荒鷲の集い」が九段会館にて開催される(今年で第48回を数える)。
第一回「荒鷲の集い」 於 九段会館
また、この年に全日本学生応援団連盟に加入、現在まで様々な大学の応援団とのつながりが続いている。
64年には体育会に入会し、体育会各部の応援活動や南山大学との定期戦(上南戦)、荒鷲の集いを
はじめとする各演武活動を通じて大学内で存在をアピールしていく。
66年に上智大学応援団OB会が発足。
88年にバトントワイラー部がチアリーディング部に名前を変更、
その後97年にはチアリーディング部から初の団長が選出される。
そして2010年に創団50周年を経た我が上智大学応援団。
リーダー部、吹奏楽部、チアリーディング部合わせて約40名で活動中である。
時代の流れの中で試行錯誤をしながら、「上智らしい応援団」を目指して今日も活動を続けている。
2009年度 全団員集合写真